矢野・兵動に「なんでもええから喋って」とお節介して31年
ナインティナインの2人に岡村君と矢部君の「ボケとツッコミが逆やで」と言ってしまったのもその頃です。
私がきっかけにせよ、今日までコンビを続けているのはやはり「縁」があったのでしょう。長い下積みの間に兵動君は「すべらない話」の一人しゃべりで人気者に。全部原稿に書いて必要のない文字を削り込んでいく地道な作業を続けて極意を会得。矢野君は「パイセン(先輩)語」なる不思議な略語(尼崎→ガサキ、心斎橋→サイバシなど)を使い、漫才コンビとしてのクオリティーも上がり、2人は人気を不動のものにしていきました。
兵動君には今でも「先生、あの一言は究極のおせっかいでした」と言われますが、とにもかくにも矢野・兵動というコンビが誕生し、今もなお継続しているのはうれしい限りです。「余計なおせっかい」をしてホントによかったと思っています。