昭和の爆笑王・中田ダイマル・ラケット ラケット師匠が見せてくれたダイマル師匠の直筆台本
そもそもはダイマル師匠がお兄さんと「中田デパート・ダイマル」という兄弟コンビを組んでおられたところ、お兄さんが亡くなられ、弟のラケット師匠に白羽の矢が立ち、兄のダイマル師匠に「明日から漫才すんぞ」と強引にコンビを組まされたということでした。
「兄貴の言うことやから、いやも応もおまへんがな。無理やり会社辞めさせられてやね、ズブの素人に漫才ができまっか? 今考えてもむちゃくちゃでしたな~」と苦笑い。
絶妙の間合いの漫才をされていたので「(ラケット師匠の)才能を見抜いておられたんですね」と伺うと「おまへん、おまへん。兄貴の言うとおりにやっただけですわ」「そら、ツッコミが早すぎる、遅すぎるて怒られながら朝から晩まで稽古させられて、ついていくのに必死でしたわ」と謙遜されていましたが、いまNSCの講師をしている目から見ても努力だけではとてもできない、わたしが言うのもおこがましいことですが、凄いセンスをお持ちだったのだと思います。
■「兄貴の台本見はりまっか?」