中川家の兄・剛がパニック障害に「仕事がなくなってしまうのが怖くて言い出せなかった」
言わずと知れた「M-1グランプリ」初代チャンピオンの中川家。剛と礼二兄弟の2人は1992年にNSCに入学。しゃべりのうまさは当時から群を抜いていて、年末の「オールザッツ漫才」にも現役生としては異例の出演も果たすほど。
卒業後も順調に仕事が増えましたが、97年、私が構成をしていた「トミーズのはらぺこ亭」(関西テレビ)にレギュラー出演していた時のこと。楽屋の入り時間になっても来ない。まじめな2人だけに最初のうちはその時の収録がたまたまテレビ局内ではない違うスタジオだったため「場所間違えてるな、もうすぐ来るやろ」「罰ゲームさせなあかんな」と出演者もスタッフも笑っていましたが収録時間になってもなんの連絡もない。「事故かなんかに巻き込まれてるんちゃうか?」と心配しながら、出演者の次の仕事に影響の出ないギリギリまで収録時間を遅らせ、彼らの到着を待ちましたが、結局現れず中川家抜きで収録しました。
家に電話をしてもつながらず、当時は携帯電話も普及していなかったので、2人からの連絡を待つ以外に所在を知る術がない。プロデューサーがしびれを切らして「どんな状況でも電話ぐらいできるやろ、あいつらクビや!」と激怒。その時、実は兄の剛君が呼吸困難になり病院に行っていたのでした。後に、「パニック障害」と診断され、いつ生放送や収録に来られないことになるかわからないという理由でレギュラー番組も次々となくなり、残ったのはKBS京都のラジオだけに。