<52>聖路加病院の名物院長からドン・ファンに届いていたお礼状
「次はいつ東京ですか?」
「今度はね、来月の1日に病院ですかね」
新大阪に向かう新幹線で、私は野崎幸助さんの隣に腰掛けておしゃべりをしていた。来月の1日とは6月1日。まさか殺害されて、その日を迎えることができなくなるとは知る由もなかった。
「へえ、珍しくひと月近く空くんですか?」
「まあ、用事があれば飛んできますけど」
社長は必ず月に1回は東京に来ていた。聖路加国際病院では治療の他に人間ドックも受診していた。新橋での交通事故でタクシーの下敷きになった社長が、救急車で運ばれた先が聖路加だったという縁である。何度か見舞いに行ったことがあるが、10畳ほどの個室スペースで、応接セットに広々としたバス・トイレも備わった部屋だった。シティーホテルの貴賓室並みのしつらえである。
■学生看護師に片っ端から声を掛けて
隣接する聖路加国際大学の看護学生たちが先輩看護師と連れ立って病室を訪れるところも、ドン・ファンの好みだったのではないだろうか。