オール巨人さんの勧めで事務所入り「よかったら考えみて」の軽い一言に隠された真意
「M-1グランプリ」の審査員を昨年限りで勇退されたオール巨人さん。古希を迎えられた現在も若い頃と変わらぬパワフルな舞台を務めてらっしゃいますが、決勝戦の1週間前から禁酒、芸人の言葉を一言たりとも聞き漏らすことのないよう全神経を集中して審査に臨まれ、出場している芸人と変わらぬ緊張感を放たれていました。そんな巨人さんが「ずっと集中力を保って審査するのはもうキツイわ」と勇退されたのは、お笑いに関してストイックゆえの決断で、真剣勝負のM-1審査は若手への惜しみない愛情表現のひとつだったと思います。
漫才作家として私が師事した先生はいませんが、ネタを書くことであらゆるパターンを教えていただいたという意味で師匠と呼べるのは巨人さんだけです。巨人さんのありがたいところは、出来のいい時はしっかり褒め、悪い時には「これはあかんで」とはっきり言ってくださること。
1983年にお笑い作家志望者と新人芸人がコラボしてネタを作っていく「笑の会」に参加していた時のこと。当時、人気絶頂だった巨人さんが突然会場に来られて「誰か阪神巨人のブレーンになってくれる人いてへんかな?」と言われたのです。すぐに15人ほどいた作家たちが全員手を挙げ、巨人さんが出された「テーマ」について、おのおのがネタを考えていくということを繰り返して一本の台本に仕上げていきました。皆、本職の都合などで参加者が減っていき、最後は病み上がりで定職についておらず、時間の自由の利く私1人が残りました。