河瀬直美さんの在野精神はどこへ…アーティストは未来の評価を気にかけるべきだ
河瀬直美さんが総監督を務めた東京五輪の記録映画撮影に密着したNHKの番組が波風を起こしている。
番組では開催反対のデモに参加したとされる男性の映像に「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」という字幕が付けられていたが、その後NHKは事実が不確かなまま放送したと謝罪した。
確かにそれは問題だが、もうひとつ、強く感じたことがある。「アーティストは未来の評価を気にかけるべきだ」ということだ。河瀬さんは才能があり、インディペンデントな立場で映画を撮り続けている人だと思っていたが、番組での発言を見ると“在野の精神”から離れてしまった気がした。
彼女は「国際社会からオリンピックを7年前に招致したのは私たちです」とし、「そしてそれを喜んだし、ここ数年の状況をみんなは喜んだはず」だと言った。もちろんその意見は尊重されるべきだが、五輪招致を誰もが「喜んだはず」とするのは、大ざっぱすぎるだろう。
今回の話で思い出すのは、1936年のベルリン五輪だ。世界各国がナチスのユダヤ人迫害を知りながら参加したことへの疑問や悔恨の念はいまだにある。世界中がナチスにNOを突きつけボイコットしていたら、ホロコーストも違った結果になったのではないか、と。このとき記録映画「オリンピア」(「民族の祭典」「美の祭典」)を撮ったのは女性の映画監督レニ・リーフェンシュタールだが、戦後は米仏両軍からナチスへの協力のかどで逮捕された。