R-1覇者お見送り芸人しんいち 芸名の由来は「名前を覚えてもらいたい一心でやっていたこと」
お見送り芸人しんいちさん(芸人/36歳)
先月の「R-1グランプリ2022」(関西テレビ、フジテレビ系)で優勝したお見送り芸人しんいちさん。今月37歳になるピン芸人は今大忙しだ。優勝までは貧しかったが、ギターの歌ネタを始めて大きく変わったという。きっかけは、事務所の大先輩だった。
◇ ◇ ◇
大阪で芸人始めた頃は実家住まいでしたから、ご飯は食べられました。貧乏は、12年くらい前に上京してからですね。
2年半は芸人をまったくせず、バイト・女の子と遊ぶ・ゲームというサイクルのダラダラした生活。すごい安い部屋に大阪時代の先輩芸人と住んだり、女の子の部屋に転がり込んでいた時期もありました。「1万円だけお金入れるから」と女の子に頼んで置いてもらっていましたよ。親からは「芸人辞めたんなら戻ってこい」と言われていました。
アルバイトはフットサル場の受付とコーチを。サッカーが強い高校でプレーしてましたので、サッカーは好きだし、得意だから10年くらい続いていて、今もまだバイトの籍はあるんです。居酒屋やラーメン屋の深夜バイトをしても続かなくて「僕は好きなことしかできへん」とわかり、芸人かサッカーしかできないと自覚しました。
好きなこと以外は本当にサイテーで、自分で6万円の部屋を借りても家賃滞納で出ていかされて親に滞納分を払ってもらいました。バイト料は、合コンで女の子にいいカッコ見せたくておごったりパチンコに費やしたりでした。
ネタを真剣に始めたのは15年からだと思います。その年に田中光さん(ピン芸人で「サラリーマン山崎シゲル」などの漫画家)との「田中上野」というユニットで「歌ネタ王決定戦」(毎日放送)の決勝に進出できたんです。ネタはすべて田中さんが作ってくれた。その時期、本来のピンではオーディションに行ってもまったくハマらなくて……。テレビに出られる時は「田中上野」ばかり。それが悔しくて「1人でもテレビに出たい」と頑張るようになりました。
■事務所ライブの1人コントはズーッと最下位
19年と20年に同じ「歌ネタ王決定戦」にピンで決勝進出。この時に「僕の好きなもの」というギターネタがなんとなくできていったんです。
でも、テレビ出演は1カ月に1回ペースで、生活面は何も変わらなかった。営業は月に1回あればいい方でしたし。それも自分が呼ばれるのではなく、所属させてもらった事務所のカミナリ、東京ホテイソン、ティモンディのバーターで行くんです。僕は前説として出て、ネタの持ち時間は5分。後輩芸人の前でやるのはつらかったけど、その悔しさも「頑張ろう」という気持ちになりましたよ。
もともと、ギターでの歌ネタを始めたのは事務所の大先輩サンドウィッチマンさんのライブツアーの手伝いをしていたのがきっかけです。僕は伊達(みきお)さんの衣装係をしたのですが、コントの小道具にギターがあったんです。
あるライブ会場でリハーサルと本番の合間に「誰か、ギター弾ける?」という話になり、「僕、弾けます」と弾いて歌う流れになったんです。富澤(たけし)さんが「おまえ、ギター弾けて歌声もきれいなのに、なぜ武器にしねえんだよ」と。ここからギターネタを作り始めたんですよ。
それまでフリップ作ったり、1人コントをやっても事務所ライブでズーッと最下位だったから、サンドさんのライブツアーの手伝いをしてなかったらと思うと。今の僕はない。ゾッとします。
芸名の名付け親もサンドさんです。これは10年以上昔、大阪のある事務所にいた頃にサンドさんが営業などの仕事で大阪に来られるたび、僕はサンドさんに覚えてもらいたい一心で新幹線の駅まで行き、「気をつけて帰ってください!」と毎回挨拶していたんです。安易な考えです(笑)。そしたら覚えてくださって伊達さんが僕のことを「見送るのがうまい」とブログに書いてくれた。同じ事務所に入ることになった時、「お見送り芸人しんいち」となりました。
「R-1」で優勝して、家族が大喜びしてくれました。家族ラインは今、「今日はこの番組見た!」で盛り上がってくれています。いつまで忙しいかわかりませんが(笑)。
優勝した時、ミュージシャンの知り合いの方たちが喜んでくれたから、僕の目標はミュージシャンが集まる音楽番組のMCをやることです。
今後もよろしくお願いします!
(聞き手=松野大介)
▽本名=上野晋一 1985年4月、大阪府生まれ。コンビ活動などを経てピン芸人デビュー。今年の「R-1」優勝でブレーク。ユーチューブチャンネル「お見送り芸人しんいちの『嫌われ者』」が好評。各配信サービスで「僕の好きなもの」をデジタルリリース中。