舘ひろしにコーヒーおごり、ジョー山中にジーパンの裾上げしてもらったデビュー当時
ミルクの隣のジーパン屋さんは、ジョー山中が手伝っていて、アタシのジーパンの裾上げをしてもらった。その頃からスッピンで、いろんなところに出没していましたね、自転車で(笑)。テレビや映画には出ていたんです。松竹映画の「にっぽん美女物語」で主演したり、愛川欽也さんとのCMが話題になったり。でも、ヒット曲はなかった。で、田辺さんに頼んでレコード会社を替えてもらったんです。
それでできた曲が「愚図」。まだ百恵ちゃんの曲を作る前の宇崎竜童さんと阿木燿子さんに頼んだの。田辺さんが宇崎さんに「研ナオコをオトコにしてやってくれ!」って。独特の言い方ですよね(笑)。宇崎さんが歌っているテープを聞いたらすごくいい曲で、これでヒットしなかったら歌手やめようって。メークも衣装も全部自分で決めました。ストライプのシャツの袖まくって、裾をジーパンの外に出して、ハンドマイクよりスタンドマイクがいいかなって。
一点を見つめ、まばたきしないで歌い始める。お客さんはオチがあると思ってる。ワンコーラス目が終わって、下を向いたまま顔を上げない。お客さんの反応が変わる。えっ! みたいな。ツーコーラス目。顔を上げて、また一点見つめて歌い始める。終わったら波のような拍手がグワ~ッときた。初めての体験。これ、売れるかもって。デビュー5年目でした。「愚図」のキャンペーンで飛行機に乗ったとき、イヤホンから聞こえてきたのが中島みゆきちゃんの「アザミ嬢のララバイ」。こういうの歌いたいって田辺さんに相談したら、すぐ動いてくれて。最初に「あばよ」ができた。でも、「愚図」とタイプが似ているので、先に「ラ・ラ・ラ」を出したのね。で、次の「あばよ」。これで1976年11月にオリコン1位をとったんです。
(構成・藤井優)