故・木川かえるさんが漫画家を諦めた理由「手塚治虫の描いてるのを見せてもろたら…」
最初は楽屋で挨拶をするしか接点がありませんでしたが、月亭八方師匠の番組で「楽屋ニュース」というコーナーのブレーンになってからは芸人さん、裏方さんを問わず「今週おもしろいことはなかったでしょうか?」と話を伺うようになり、携帯電話のなかった時代でしたから、毎週30人の芸人さんのご自宅に電話させていただいて「ニュース」を集めていました。その中のおひとりが木川かえる師匠でした。
いつお電話してもおだやかに「ご苦労さん、あんたも大変やな……」と1週間に起こった話を丁寧に教えてくださいました。
ある時、楽屋で「いつもすいません。師匠今週は?」と伺うと「お茶いきまひょか?」と劇場近くの喫茶店に連れて行っていただき「けど、毎週ニュース集めんのん大変やね。ようやるわ。他にどんな仕事してんのん?」と私のことを聞かれ、「(オール)阪神・巨人さんを中心に漫才やコントを書いています」「巨人くんとこのネタ書いてんねや、そら大したもんや」とお互いの話になり「戦時中は進駐軍のキャンプでいまみたいな漫画を描いてたんやけど、ほんまの漫画家になりたかってね。当時あった新聞漫画に投稿してよう採用されてね、ひょっとしたらいけるかもしれへんぞと思たんやけど、そこで本多はんも知ってるすごい人に会うてもうたんよ」「どなたですか?」「手塚くん。後の手塚治虫大先生。彼も新聞投稿とかしてて名前だけは知ってたんやけど、実際に彼の描いている漫画を見せてもろたら、とてもやないけどかなわへん。それで断念したんよ」。