真矢ミキさんの今 高学歴キャラに寄り過ぎて演技の迷子に…自分を箇条書きにして気がついたこと
真矢ミキさん(俳優/60歳)
宝塚花組のトップスターに就任、退団後は俳優として活躍する真矢ミキさん。ドラマ、映画でのはつらつとしたイメージが印象的だが、逆転、転機も経験し、そのたびに気持ちを切り替えて乗り越えてきた。時々の思いを伺った。
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今年に入って、「いつも心にケセラセラ」という著書を上梓することができました。書き出しは「突然ですが、私、実は内向的です」。“そんなことはないでしょう”と言う人が多いと思いますが、当時はまったく違っていたんです。幼少期から宝塚に入るまでは間違いなく内向的な私がいました。
父は転勤族。私は中学に入るまでに8回転校しています。何度も転校を繰り返すと友達をつくってもすぐに離れ離れになるし、前の友達が古くなるような気がしてつくらないようになっていきました。どうせ、また引っ越すんだからと思うと、家でも段ボールから最小限の荷物しか出さなくなったり。そんな環境のせいにするわけではないけど、自然と内向的になっていたと思います。両親は私を愛情を持って育ててくれたけど、あの頃はギクシャクしていましたね。
ただ、そんな時期もありましたが、人生にはやっぱり逆転があるんだなと今もつくづく思っています。中学を出て宝塚に入ってからの私は変わっていきました。
宝塚に入った時は劣等生です。1年目は39人中37番ですから。父に「もう少しでブービーだったのに」と言われた時は「失礼な! どんな励まし方なの」と思いましたけど。ただ、他の人のように小さい時から英才教育を受けていたわけではないから仕方がないですけどね。
でもその代わり、勉強するのは好きだったので、死ぬ気で頑張ろうと。その結果、2年目は22番になった。でも、本音では1桁にはなれると思っていたから、「22番か」とガッカリしちゃった。うぬぼれてたんですね。そして、並大抵な努力ではこの先やっていけないんじゃないか、今なら夜間高校、大学に入ってやり直しがきくと思ったりしてね。
それで、母に「辞めたい」と言ったら、反応が意外で。「ハンカチを作って、親戚に手紙を出して、配ったばかりなのに。やめてよ」って。実はその時は入団2年目で初舞台の直前。大喜びの母が初舞台のお祝いのハンカチをたくさん作って、親戚中に配ってたんです。その時は、娘の気持ちがわかっていないなと思いましたけど(笑)。
そして、初舞台の次の作品で初主役をもらうんです。その時18歳。宝塚には宝塚のよさがある、活躍している姿を見てもらうことができる世界という喜びを感じました。
だから稽古も熱心にやりました。稽古が終わってからもいさせてもらい、どう演じたらいいか、みなさんの稽古を見させてもらったりもして。
男っぽさを研究するために環状線の電車に乗って、グルグル回りながら男性をずっと観察したこともあります。