追悼・唐十郎さん 日本の現代演劇を変革した不世出の天才は寺山修司と命日が同じに
状況劇場の後継劇団「唐組」の公演初日に訃報が
2005年には紫綬褒章受章を内示されるが辞退しアングラ演劇人としての反骨精神を貫いた。
同年に日刊ゲンダイで「波瀾万丈アングラ交友録」を連載した際、「寺山修司はいいんですか?」と尋ねると「もう語り尽くしたからね」とニヤリと笑った。
無名だった24歳の唐の処女戯曲「23時54分『塔の下』行は竹早町の駄菓子屋の前で待っている」を寺山が高く評価したことから、2人の交友が始まり、唐は5歳年上の寺山を生涯の兄貴と慕った。
1983年に寺山が緊急入院した阿佐谷・河北病院に唐が見舞いのため、足しげく通っていた姿を当時近所に住んでいた私はよく見かけた。
その寺山と命日が同じになるとはなんという奇縁。しかも最期の寺山作品「新・邪宗門」の上演を間近に寺山は死去、唐は状況劇場の後継劇団「唐組」の公演初日に訃報が伝えられた。
不世出の天才2人のあまりにも劇的な「縁」に身震いする。
2012年に自宅前で転倒し、脳挫傷を負ってから新作を書くことはかなわなかったが、今ごろ寺山や21年に亡くなった前妻で盟友の李麗仙の待つ彼岸で新作執筆に取り掛かっているに違いない。
合掌 =敬称略
(山田勝仁/演劇ジャーナリスト)