日枝久取締役相談役が辞めてもフジテレビの再生なし…「独裁者」がいるメディアほど業績がいい不思議
次の務台光雄の独裁ぶりは正力を超えた。“新聞が白紙でも売ってみせる”と豪語し、読売を日本一の部数に押し上げた。だが、社内に自分を批判する者がいないかスパイを置き、自分を脅かす存在になってきた氏家斉一郎を日本テレビに追い出し、その後クビにしてしまった。現在の大手町の社屋を国から払い下げてもらうために時の総理に談じ込み、「やらないなら読売の総力を挙げて叩いてやる」といったのは有名な話だ。
私は「月刊現代」(1985年6月号)で、“老害”といわれている務台は辞めるべきだと書いた。務台は怒り狂って社内報特別版を作り、「現代はデタラメを書いた」と猛反論した。
その務台が後継に指名したのが渡辺恒雄であった。社長と主筆を兼務して務台を超える独裁支配を続け、読売を発行部数世界一の新聞にした。だが、社論の私物化や政権との距離感のなさが度々批判され、98歳で亡くなるときには部数も600万部を切っていた。
朝日新聞の広岡知男は社長と主筆を兼務した最初だといわれる。東大野球部で初めて六大学野球の首位打者になった大柄な人だった。当時、絶大な力を持っていた社主の村山家を排除したことでも知られる。朝日が“大朝日”といわれていた時代に独裁ぶりを発揮した。