映画「長江」で35億円の借金を負った さだまさし
■1981年11月
1980年代初め、ヒット曲を連発していたさだまさし。その流れに乗って映画製作に乗り出したが、製作費がかさんで巨額の借金を背負ってしまった。
81年11月7日、東宝洋画系120館で中国を舞台にしたドキュメンタリー映画「長江」が封切られた。主演、監督はさだまさし(当時29歳)。製作総指揮はさだの父親で、製作は個人事務所「さだ企画」。祖父は大正時代の日本のシベリア出兵の頃、中国を辺境まで探索して地図を作る「軍事探偵」をしていた。その関係から父親も中国生まれで、さだには長年、大陸への憧れがあった。
この頃のさだは「雨やどり」「防人の詩」などがヒット。79年にリリースした「関白宣言」は代表曲になった。個人事務所には印税など莫大な収入が入り、2億円ほど余裕資金があった。その資金で製作を思い立ったのが「長江」だった。
80年からロケが始まった。製作の規模は企画段階よりはるかにスケールアップした。当初はテレビ用のビデオカメラでの撮影の予定だったが、後々まで保存性のいいフィルムで残したいと、映画用35ミリフィルムに替えた。