伝説のAV男優マグナム北斗 「道頓堀プロレス」のリングアナに
選手を指さす際、人さし指と中指を揃え、やや内側に曲げるのがご愛嬌(この意味もちろん、わかりますよね?)。
「ハハハ、よう見てまんなあ。でも、プロレスは選手が目立ってナンボ。ボクはあくまで裏方、控えめにしてます」
そういえば、11月に引退予定の天龍源一郎が引退宣言後、初めてリングに上がったのが道頓堀プロレスの大阪・ボディメーカーコロシアム興行だった。
「おかげさんで入場者780人の満員札止め。大将(天龍のこと)サマサマです。実はプライベートでも大将とは25年以上の付き合いで、東京におった時はよ~け飲みに連れてってもらいました。AVに出ながらプロレスライターをしてた91年、白夜書房が出したプロレス雑誌『レッスルボーイ』創刊号の巻頭は、大将と阿修羅・原さんのインタビューやった。ホンマ、懐かしなあ」
■自衛隊を除隊後は仕事を転々とし、22歳でAV業界に
さて、広島県三原市生まれ、兵庫県加古川市育ちのマグナムさんは中学卒業後、埼玉県熊谷市にある航空自衛隊航空教育隊生徒隊に第24期生として入隊。除隊後は都内でバーテンや板前、パンクバンドのボーカルなど職を転々としていた。そして、85年、22歳にしてAV男優に。自衛隊で培った並外れた体力と全長25センチの“暴れん棒”を武器に、たちまち超売れっ子男優になったのだ。