村西とおるも野田義治も価値紊乱者ゆえの孤独を抱えていた
村西とおるの監督としての力量も未知数で、クリスタル映像初期の売り上げは散々だった。
ところが、村西本人が出演するようになり、「ナイスですね」「ファンタスティック」「ゴージャス」といった死語のような英単語を乱発するコミカルな話芸が一部でウケ、86年発売「SMぽいの好き」で人気を決定的なものにした。
時代は黄金の80年代、経済的余裕は精神面にまでおよび、正攻法で観賞するよりも斜に構えた見方が面白がられる時代だった。田舎道の軒先でよく見かけたキンチョールのホウロウ看板が、キッチュでしゃれたものだと再評価されたのもこのころだった。
村西とおる自ら出演し、共演女優の股間をなめて「ナイスだねえ」とささやくさまを、視聴者は面白がった。これも80年代に派生した斜に構えた見方の一例だった。
村西作品群は売れに売れ、クリスタル映像は膨大な利益を得るようになる。
だが両雄並び立たず。
アクセル全開路線の村西とおる監督と、ブレーキをしばしば踏む西村忠治社長では、路線の違いで袂を分かつのは時間の問題だった。決別はバブル期、88年夏だった。