飢餓状態も…アッツ島の日本軍はなぜ降伏できなかったのか
![アッツ島で、埋められる火葬の残灰に拝礼をする江間(左)、稲田両事務官=1953(昭和28)年7月/(C)共同通信社](https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/254/345/84570eab8f376c4d7a5c5695847cb3d620190521135528763_262_262.jpg)
アッツ島守備隊の玉砕には大本営に見捨てられたという意味もある。増援を送ろうにも、軍部にはそれだけの兵力がなかった。東南アジア全域に兵士を送り込んだことのツケが回ってきたのである。山崎守備隊長は「自分たちは霊魂となっても戦い続ける」との凄まじい電報を北方軍に打った。
この…
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