体制の根幹に迫る思想戦に変質していった大久保利通の暗殺
天皇親政は制度上も保証されることになった。明治10年9月、「内閣参朝公文奏上程式」が定められ、天皇は内閣に臨御することになった。国策の重要な政策に天皇が関わることを意味し、参議らもほぼ定期的に上奏することが義務づけられたのである。天皇の権威をもって政治的実権を固めようとする大久…
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