ハル国務長官と野村大使による外交交渉で行き違いが明確に
太平洋戦争の原因として最も短期的な見方をした場合、昭和16年6月22日のドイツによるソ連領への侵攻と考えることができる。ドイツがヨーロッパを席巻し、あまつさえソ連にまで勢力圏を拡大しようとするのを見て、日本はまさにドイツに便乗しようと考えたのだ。昭和16年7月2日の御前会議は南…
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