戦間期の日本のねじれと知識人の葛藤

第1次世界大戦の戦後処理をめぐるパリ講和会議で、日本の立場は一気に国際社会のトップランクに達した。さてその頃、日本社会はそれまでの明治期の政治状況とはまったく異なる顔を持つ国になった。いわゆる知識人と称して良い大学卒業の中間層が誕生して、社会構造が経済的にも、学問的にも大きく変…
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