事務所社長宅に下宿 高校と芸能界の“二足の草鞋”が始まる
大西結花編 <3>
中学卒業と同時に東京に出た。学校の先生を目指すつもりが、芸能界の扉を叩いた。どうなるか分からないし、寂しさもあったが、いつまでも、実家にいても意味がないと思った。
出発のとき、新大阪の新幹線のホームで幼馴染みの親友が見送ってくれた。「これ」と渡された紙包みには、ふたりでつけていた交換日記。
「私はここでこれからも友だちと一緒だけど、ゆっちはひとりぼっちになるでしょう」
一緒にバンドをやろうと話していたこともあった親友。私たちは別々の進路に歩み出した。
乗る予定だった新幹線は行ってしまい、何本か遅い便で東京駅に到着すると、待ちわびていた事務所社長に怒られた。1984年に携帯などあるはずもなく、遅れる連絡の取りようもなかった。
社長宅に下宿し、高校と芸能界の二足の草鞋を履くことになった。午前中に授業を受け、午後から仕事という毎日。用意してもらった部屋には、ピンクのカーテンがかかり、ピンクのベッドカバーがあった。実家では姉と相部屋で2段ベッドだったから、初めての個室がうれしかった。