ロックンローラーコンテスト準優勝で開けた芸能界への扉
大西結花編 <2>
中学時代の私はロックンロールのとりこだった。横浜銀蝿が人気だったこともあるけど、フリルのスカートに髪形をポニーテールにして、リボンをつけて踊るローラー族のファッションがとにかくすてきだったのだ。
大阪では梅田と中之島公園、大阪城公園が彼らの聖地だった。14歳の私は行動的で、実家のある豊中市から電車を乗り継いで、大阪城公園に行った。そこにはラジカセでアメリカン・フィフティーズの音楽をかけて、いろんなグループが輪になって踊っていた。うれしくて、そんなみんながまぶしくて、座って見学していると、「一緒に踊ろうよ」と声がかかった。
人混みのひいた夕方、レッスンが始まった。メンバーは高校生や大学生、社会人もいて、中学生の私にはお兄さん、お姉さんだったが、5歳年上の姉がいたし、皆とても優しく面倒を見てくれて、すぐに打ち解けていった。平日は放課後、バスケ部で汗を流し、日曜日はローラー族。メンバーの中には不良っぽいと親に反対され、着替え袋に衣装を入れてトイレで着替えて踊る人たちもいた。私は母がフィフティーズが大好きで、青春まっただ中に聴いていたことが幸いして、応援してもらっていた。父は頑固でしつけに厳しかったけれど、このとき何か言われた記憶がないのは母が説得してくれたのかも知れない。