優勝したのは東海大2年の田ノ下雄二。今の春風亭昇太です
鹿児島県人は意外と見えっ張りだと竹丸は言う。だからNHK新人演芸コンクールで最優秀賞を受賞した際も、賞金以上の金を使い仲間にごちそうした。
「鹿児島県人は、ここぞという時には散財するんです。なにせ薩摩藩は加賀百万石に次ぐ77万石。県民にはその誇りがありますので、借金してでも見えを張る。金を惜しむと『やっせんぼ』とバカにされます。ダメなやつという意味です」
竹丸は1957年、鹿児島県鹿屋市で生まれた。本名、徳永良治。幼い頃、大阪に転居し、小学生時代に道頓堀角座で寄席演芸を見て魅せられる。その後、再び鹿屋市に、中学生の時に愛知県常滑市に移り、地元の中学、高校に通学した。
「私は大阪時代になじんだ関西弁をしゃべってました。両親は鹿児島弁、妹は名古屋弁です。それでも家族間の意思疎通に問題ありませんでしたね」
1976年、駒沢大学に入学した良治は、訛りを克服するためアナウンス研究会に入りたかった。
「当時は訛るとバカにされたもんで、なんとか直したかったんです。ところが駒大にアナウンス研究会がなかった。そこで、落研に入れば標準語がしゃべれるようになるのではと思い入部しました」