ピンク・マルティーニとコラボした「1969」が世界でヒット
40周年の時に、ラストランは歌謡曲にチャレンジしたいと思っていたんですね。ある時、スタッフがアメリカのピンク・マルティーニという人気ジャズグループが私の曲を日本語で歌っているというので、ユーチューブを見せてくれたの。「あら! こういう人がいるのね」ってビックリ。
ちょうどその頃、新しいアルバムのために秋元康さんに作品作りをお願いしたら、「ラジオ時代の歌をもう一回歌うのはいいと思うけど、ただ歌うだけじゃ、客は来ないよね」って言われてグサッときていたわけ。それで私の曲をカバーしていたピンク・マルティーニとのコラボはどうかしらという話になったんです。
スタッフが直接コンタクトをしたら「OK! やりましょう」ということに。そして、ピンク・マルティーニのトーマスのプロデュースによるアルバム「1969」を制作することになったんです。
スタッフが現地まで行ったり、メールでのやりとりがしばらく続きました。ようやくトーマスから「YUKI、音データを送るから待っててね」というメールがあったんです。ところが、待てど暮らせど、データが来ないんです。そうしたら東日本大震災が起きて、被災地に慰問に行こうとしたらそれもかなわず、にっちもさっちもいかない状況になりました。