「激動の昭和史 沖縄決戦」沖縄の悲劇を弁証法的に考える
1971年 岡本喜八監督
監督は「日本のいちばん長い日」の岡本喜八、脚本は新藤兼人が担当。1945年3~6月の沖縄の死闘を描く。
44年7月、米軍はサイパン島を陥落させ、日本の喉元に匕首(あいくち)を突きつけた。大本営は敵が沖縄を攻撃すると読んで兵力を投入。第32軍の10万人が迎え撃つこととなった。ここに米軍が1500隻の大艦隊で攻撃してくる。島の全域で繰り広げられた血みどろの戦闘を、お涙ちょうだいのドラマ性を薄め、ドキュメンタリーのように再現。民間人と兵士が大量に殺される。
主軸は牛島中将(小林桂樹)と長参謀長(丹波哲郎)、八原高級参謀(仲代達矢)の作戦会議だ。長は総攻撃を主張し、八原は持久戦を言い張る。牛島はその意見に耳を傾けるが、総攻撃は再三中止に。やがて参謀本部のある首里に敵が迫り、兵は県民が避難した南部に移動。そのため民間人が巻き添えになる。県民は国のために死ぬよう洗脳され、ひめゆり部隊や鉄血勤皇隊が犠牲に。
岡本監督はこれでもかとばかり、戦争の不条理を見せつける。16歳の少年は爆弾を背負って敵戦車に突進。洞窟に避難した民間人は横暴な兵士に「出ていけ」と怒鳴られる。スパイへの疑心暗鬼も広がり、罪なき人が射殺される。追いつめられた民間人は手りゅう弾で自殺。「老幼男女の肉片が四散し、死に損なった者はこん棒で頭を打ち合う阿鼻(あび)叫喚の地獄が展開」した。子供の自決すら止める者がいないとは異常な世界だ。