<1>麻雀で始まり競輪場で終わった18年の付き合い
麻雀は4人揃わないと、できない。私も阿佐田さんとは初対面だったが、メンバーとして招待されたのである。
それから18年後――。
阿佐田さんとの別れも書いておきたい。永訣は、廃止になった花月園競輪場である。ここで競輪の日本ダービーが開催された平成元年3月のことである。
決勝戦の当日、阿佐田さんは新聞記者席にいたが、レース終了後、メインスタンドにいた私たちの席に上がってきた。数多くの競輪仲間と楽しげに言葉を交わし、満面の笑みを見せていた。
それが……。
今生での、阿佐田さんの姿の見納めになった。指折り数えると、今年が没後31年になる。
花月園の数日後、私に新聞社から電話があった。それが訃報の知らせの最初。
「阿佐田先生の追悼記事を作るので、談話を」
と、求められたが、動転して言葉が出ない。
ふっと思い出したのが、彼と交わした短い言葉である。私と2人だけの時に、