「ドローン・オブ・ウォー」通勤型戦闘員が抱える苦悩
なるほど。本作の本質はここにある。おそらくこういうことだろう。
かつて米国の男たちはノルマンディーや朝鮮半島、ベトナムなどの激戦地に派遣された。平穏な暮らしから隔離され、戦闘の中に投げ込まれることで頭を切り替えて殺し合いに徹する。それが戦争だ。
だが通勤型戦闘員は違う。彼らは妻や子供にキスをして出勤、基地で人を殺して帰宅し家族団らんを味わう。そして翌日また戦争に出かけていく。人殺しの中に家庭があるのか、家庭の中に人殺しがあるのか分からない。だからトミーはミサイルの照準を絞りながら妻が浮気をする妄想にかられてしまう。かくして理性的な者ほど懊悩し、自分の正義を求めてもがくことに。トミーの場合はCIAの非情な指令がその引き金となった。
ただ、見終わったときにひとつ疑問が残る。トミーは実機に乗ることが真のパイロットだと考えている。だが彼が過去に空を飛びながら遂行した爆撃任務に、子供や民間人を巻き添えにする違法行為がなかったという保証はない。罪なき者を殺したかもしれないのだ。無人攻撃も有人攻撃も米国のための殺戮。どちらが正しいという答えはない。
正義とは何か――。本作はこの重いテーマを突きつけているように思えるのだ。
(森田健司/日刊ゲンダイ)