希代ヒットメーカー相次ぎ死去…昭和歌謡は遠くなりにけり
「エロスも不道徳も許されるのが平和であることの象徴」
決して奇麗ごとばかりじゃない男女の歌。その情念も昭和歌謡に刻み込まれている。携帯もなければメールもない時代だ。逢瀬は深く、濃くなる。約束の場所に遅れれば、会うこともできないが、訳ありのふたりが人ごみにまみれて行方をくらます闇があった。
代表曲のひとつ「時には娼婦のように」が1978年の発売当初、内容がひどく過激だとして放送禁止にするテレビ局が出ると、なかにしさんはこう突っぱねた。
「エロスも不道徳も許されるのが平和であることの象徴じゃないか。平和だけは誰にも譲れない」
忖度や自主規制、コンプラ重視などといって、当たらず触らずの現代とは腹の据わりからして違う。
「作詞・作曲がそういう背景でなされれば、歌い手も作曲家らの門下生になり、カバン持ちからはじめるような修業と下積みを経て、マイクを握った。地方営業で下手をやれば、すぐに罵声とともに物が飛んでくる時代、当時のプロ歌手はそうした興行の世界に身を置いて必然的に鍛えられていたのです」(加藤剛司氏)
昭和歌謡の深み、力強さ、普遍性には理由があったのだ。翻って、今は……と中高年世代は頭を抱えるかも知れない。だが、ある放送作家はこう言っている。
「イギリスでこんな調査があったそうです。私たち人間が新しく聴く音楽を買わなくなる年齢は何歳か、と。結果は24歳。つまり多くの人は10代や20代前半までに聴いた音楽を一生、聴き続けているのです」
多感な10代、仕事に恋にと走り回った20代、街に昭和歌謡が流れていた世代はある意味、今よりも幸せだったと思いたいし、そう信じたい。