師匠に「気を使え」と叱られた 最大の気遣いをしたのに…
十数回にわたり、その人がいなかったら現在の俺は少なくとも芸能界には存在しなかったと断言できる人のひとり、師匠立川談志(もうひとりはもちろんの10乗くらいのもちろんの「殿」ことビートたけし)の思い出をつづってきたのだ。
金魚の鉢に洗剤を入れたり、植木泥棒したり、揚げ句の果てには師匠の大切な着物を羽織っての一人大宴会を催したり、それでも、たけしさんのところに行かせてくれた師匠(ウイスキーの瓶を振り上げられた時には頭かち割られたかと思った~汗。たけしに俺からの談かん頼むの挨拶だ! を聞きホッ)。
あれから40年近くの時間が過ぎ、すべては時効に……、いえいえ、若気の至りでありました。深く深くあの頃の未熟者の自分を反省していますのでどうか苦笑交じりでお許しを……じゃなくて、もう一度だけでいいですから(かなわぬなら夢でも結構です)「談かん、またおまえか~!! バカ野郎!!」と叱ってやってください……。
落語を教えられてもアドリブでギャグを入れて「(ポカ~ン)おい! だれがそんなの教えた?」「いえ、古典落語って、ギャグが面白くないんでアレンジしてみました!!」「あ~、いい、もうおまえには稽古つけない」や、落語会のお供で「軽い方が持ち運びは楽でいいやあ!」と師匠の高座の着物を選んだら真冬なのに夏用の薄い一重だったためにその日の楽屋で師匠はダメ弟子ぶりを他の師匠たちに何度も面白おかしく話し、高座より爆笑を取っていましたね……それから、それから……まだ俺のダメ弟子ぶりはこんなものじゃないんですが、あの頃、実は俺は俺なりに師匠を快適にするためにささやかな努力もしていたのです。