2代目襲名を初代の十三回忌に合わせようとしたら反対され
2代目は謙遜するが、亡くなって13年もたっていたのだ。初代でなく2代目のひいき客が増えていたと思う。
「テレビが1時間の特集番組を作ってくれて、私の少年時代からのことを再現ドラマにして。これもありがたかったですね」
2代目襲名後は、芸に磨きがかかり、その評判は東京まで聞こえてくるようになった。ただ、聴くには大阪まで行くしかない。浪曲の興行が難しい東京で、幸枝若独演会を開いてくれる人がいないかと思っていたら現れた。演芸プロデューサーの宮岡博英さんだ。平成28年4月、浪曲のメッカともいうべき浅草木馬亭で開いたのだ。
「年に2回やってくれというありがたいお話でした。それも侠客もの、『会津の小鉄』を毎回連続でという依頼です。初代の出し物の中では長講の難物です」
宮岡さんは一貫して、儲からないけれど演芸ファンにはありがたい会を企画してくれる「奇特な人」なのだ。
「5年もやっていますと、東京でもごひいきができるようになりました」 (つづく)
(聞き手・吉川潮)