山口洋子にも「実家の姑さんに可愛がられる嫁にならないといけない」という呪縛が
筆者の周囲には佐賀出身者が存外多い。「ああいった嫁いびりは本当?」とただすと「あれはドラマでしょう」と彼らは一笑に付しながら、「亭主関白で、嫁は亭主を支えるものという、古い道徳とか価値観が残っているところも、なくはない」と返ってきた。つまり、「あった」ということだ。「地獄の佐賀編」の時代背景は大正末期である。おそらく、その価値観は濃厚に根付いていたとみていい。
権藤博との結婚を機に、山口洋子は夜の世界から足を洗おうと考えていたことは、本人の記述からも、周囲の証言からもまず間違いないと思われる。その背景にあったのが、権藤の実家の母親から不興を買っていたらしいことだ。
《「家つきカーつきババァ抜き」という流行語もあったが、私は気難しい母親のいる男との結婚生活を夢見ていた。(中略)そんな母親が年上で水商売の女との結婚など許そうはずもない。だが私はものいわぬ沼に無駄な小石を投げ入れる尽くしようで、見当違いの花嫁修業に精を出していたのだ》(「ザ・ラスト・ワルツ『姫』という酒場」山口洋子著/文春文庫)