「キックの鬼」こと沢村忠の原点は中国武術と芸能への憧れ
「なんとなく覚えていますよ。白羽君が劇団に入っていたことも、役者を志していたことも。ただ、そのことが特に強く印象に残っているわけではないんです。というのも、青山という土地柄もあるかもしれないんですが、当時は芸能の道を目指す子は珍しくなかった。劇団に入ったり、歌や踊りの教室に通ったり……戦後ですからね。大変な時代でしょう。親も必死でね。『子供に一芸を身に付けさせて、少しでも稼がせよう』、そう考える家が多かったんです」
「芸能の道を選択するのは、“山の手”の家の子が多かった」という別の証言も筆者は聞いた。“山の手”とはすなわち「上流階級」と言い換えていい。特に華族制度が廃止されたこの時期、小桜葉子(岩倉子爵家)、久我美子(久我侯爵家)、河内桃子(大河内子爵家)ら、旧爵位家の子女が女優になっているのは、つとに知られた話である。
青山という“山の手”のど真ん中に住んだ白羽家の次男、白羽秀樹が映画スターへの道を夢見ていたのは、ごく自然なことだったのかもしれない。そして、チャンスは意外と早くにやって来た。 =つづく