ラスベガスのショーをきっかけにイリュージョンの道へ
伸は20代でマジックの世界大会に出場し、その時知り合った有名マジシャン、ランス・バートンの紹介でラスベガスのショーに出ることになった。
「ランスの前に出たのですが、幸い劇場のお客さまは日本人に対する偏見がまるでなくて、6回もアンコールをもらいました。後に出たランスは4回だったのに(笑い)」
手先の技術だけで見せるマニプレーションマジックで使うのは、カードとコインくらいで道具に金がかからない。しかし、イリュージョンとなるとそうはいかない。
「典型的なイリュージョンは、箱に女性のアシスタントを入れて消してしまうのですが、あの箱だけで100万、豪華な物だと200万円もします。それでもやってみたいと、20代の最後の年に挑戦しました。北見マキ先生に、イリュージョンをやりたいと言ったら、『おまえには向いてない』と否定され、かえってやる気が出ました。だったら先生に認めさせようって」
昭和61年、初のリサイタルを開いて、イリュージョンをやった。
「ラスベガスで見たマジックショーの演出を参考にしました。ただ女性を箱に入れて消すだけでなく、女性アシスタントを2人使って、箱の中の女性が入れ替わるという演出です。これが思いのほか受けました。本場のショーを見ている強みですね」