<1>通夜の後、師匠行きつけの寿司屋で飲んで泣いていたら
今月、落語界では久々の大名跡の襲名披露が始まる。三遊亭歌之介が4代目三遊亭円歌を継ぐのだ。円歌といえば、昭和30年代から「授業中」「浪曲社長」「中沢家の人々」などの新作落語で「爆笑王」の異名を取った売れっ子で、一昨年4月に亡くなった。
鹿児島生まれで大阪育ちの歌之介が東京の落語家になり、苦労の末に円歌を襲名するまでの半生を語ってもらった。まずは襲名に至る経緯から伺おう。
「師匠が80を越えた頃、一門が集まった席で、『4代目は歌之介に継がせる。いいな』とおっしゃってくれたんです。それで兄弟子たちも了解して下さり、亡くなる前年、落語協会の納会で、柳亭市馬会長と鈴本演芸場のお席亭に、『歌之介に円歌を継がせるからよろしく』と頼んで下さった。そんな流れがあって昨年4月、国立演芸場での1周忌追善興行の席で正式発表したわけです」
マスコミで売れまくった師匠の名跡を継ぐのは大変なプレッシャーだと拝察するが。
「師匠が亡くなってしばらくは、心にぽっかりと大きな穴があいた状態で、襲名のことなど考える余裕もありませんでした。毎晩のように酒を飲んでは泣いてました。体調を崩して、四十九日が終わる頃まで下痢が続いてましたから。そんな折、スピードスケートの小平奈緒選手がテレビのインタビューで、『スケート留学の2年間で心の断捨離が出来ました』と言ったのを聞いて、物だけじゃなくて心も断捨離出来るんだと、目からうろこでした。あの言葉に救われて吹っ切れたんです」