<5>結婚した年に談志師匠から「おまえ、真打ちになっちゃえ」と…
1983年に起こった事件の発端は、落語協会が実施していた真打ち昇進試験である。2人の弟子が不合格にされたことに納得できない談志は、一門を引き連れて協会を脱会すると言い出した。
「その頃、二つ目連中の間で試験に対する不満がくすぶってました。協会の体制、方針に反発があった。そこへうちの師匠が一門だけで立川流を立ち上げると言い出したので、展望が開けたような気がして、明るい未来を感じたのも確かです。師匠が家元を名乗って、毎月弟子から上納金を取ることにも不服はなかったです。二つ目は月に2万円、そのくらいは1、2回仕事を増やせば払えると。ただ、真打ちは4万円なんで、兄さんたちは大変だったかも知れません。2万の差は大きいですから」
確かに、私が親しくしていた左談次などは、「うちの都営住宅の家賃より高い」とぼやいたものだ。
立川流設立の翌々年、談幸は結婚した。もちろん媒酌人は談志夫妻である。
「誰の結婚式でも師匠は必ず祝辞で、『夫婦は添い遂げるものである』と言います。それにしては、弟子たちの離婚率の高いこと(笑い)」