五木ひろしの光と影<5>ギター片手に夜の街に出た「流し」の日々
あるとき常連客が「レコード会社を紹介しようか」と、作曲家の遠藤実が立ち上げたミノルフォン(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)と契約することができた。1969年12月に「雨のヨコハマ」(作詞・北五郎/作曲・遠藤実)をリリースする。芸名も「三谷謙」と改名した。「三度目の正直」という意味があっただろうことは容易に察しがつく。相変わらず曲は売れなかったが、夜の街で高給を稼いでいたので、危機感はなかった。当時の月給は30万円(現在の価値で約120万円)だったという。
「金回りもいいし、好きな歌も歌えるし、これはこれで一つの生き方かもしれない」と若くして世の中を達観した気になっていた。16歳で上京した少年も21歳になっていた。(つづく)