エリザベス女王の訃報で英王室の“不都合な真実”も浮彫りに 印象的だった晩年の手の甲のあざ
印象的だったトラス新首相任命の写真
要するにこういうことだ。世界の支配構造の表も裏も知り尽くしたベテラン女王には、「開いた」ことよりも「閉じて」おいたことの方が、はるかに多かったはずだ。秘密を抱え続けるというのは、(国家機密に比べれば)大した秘密などないに等しいような庶民でも苦しいのだから、女王の抱えていた重圧は察するに余りある。皆が口をそろえて言う彼女の威厳や包容力は、そういう「覚悟」から発するものでもあっただろう。カラーパレットができあがるのではないかという勢いの毎度の鮮やかな衣装と柔らかな笑顔で、いつもお元気な女王様、という揺らがぬイメージを作り上げた。しかし、いつになく地味なお召し物で、トラス新首相任命の写真に写った女王の手の甲のあざは、実は心身ともに満身創痍であったことの、最初で最後の「ヒント」だったのかもしれない。
時代の激流の中、伝統ある国家の威容を保ちつつアップデートしていくという難題にあたっては、「秘すれば花」的美学がひとつのサバイバル戦略でもあった。しかし時代は変わる。良くも悪くも、容赦なく「開かれる」=「ばれる」時代になった。「ばらされる専門」だった新国王チャールズ3世は、女王の美学を引き継ぐ器とはあまり思えないが、いかにもそれが今っぽい、というべきなのかもしれない。女王陛下という、世界の大きな「ブラックボックス」がまたひとつ消えた後、大所帯運営はさっそく波乱必至の模様。ハリー王子(サセックス公爵)が暴露本を出そうとしているとか、英連邦では不穏な反動の芽だとか、またスコットランド独立の動きが出るのではないかとか…。"God Save the King."(王に神のご加護がありますよう)と祈るばかりである。
(文=合田典世/京大大学院准教授・西欧文化論)