“バズーカップ”アナで人気だった別府彩さん 経験を生かし「タレントキャリアアドバイザー」に転身
31歳で舞い込んだ「週刊ポスト」のグラビア
女子アナブームの全盛期、別府さんは迷わずテレビ局の採用試験を受けるも、すべて不合格。しかし、表舞台への憧れは捨てきれず、ナレーターやイベント、結婚式の司会などの仕事を続けていた彼女に、2年後、転機が訪れる。
「知り合いの方から“オートレースでリポーターをしてくれる女性を探している”というお話をいただいて。ちょうど元SMAPの森且行さんの電撃転身が話題になった頃で、よくわからないけど、まずはやってみようと」
当時はまだネットでの情報収集ができなかった時代。別府さんは、ひたすらレース場に足を運んで猛勉強し、専門知識を交えた選手インタビューやコラム執筆をこなすまでになる。そして、31歳の時に舞い込んできたのが「週刊ポスト」のグラビアだった。
「ちょうど“スイカップアナ”の古瀬絵理さんが注目された時期で、とても勇気のいる決断でしたが、仕事の幅を広げられるのではとの思いで挑戦しました」
“バズーカップ”のキャッチコピーは大きな反響を呼び、その後、自身の売り込みも功を奏し、大手芸能事務所ホリプロに所属。
「グラビアをやっているアナウンサーは価値が高いらしく、業界人の方との合コンやストレートな誘惑も結構ありました」
そして、写真集やDVDの発売、ついには日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」への出演も果たす。
「でも私は、キャラクターを確立する覚悟を決めて振り切る度胸がなかった。実力不足でしたね……」
チャンスを生かしきれなかった彼女はその後、一般企業に転職。コピーライターやイベントの企画、キャスティングやマネジメントなどの仕事を経ての現職に、新たな可能性を感じている。
芸能界のみならず、セカンドキャリアの重要性がうたわれる今だからこそ、彼女の挑戦は大きな意味を持つのかもしれない。
(取材・文=杉田俊人)