神田正輝の原点でもある「石原軍団」を振り返ると昭和の芸能界の縮図が見えてくる
ドラマ界に石原軍団あれば、映画界には「ピラニア軍団」があった。東映ヤクザ映画全盛期。大部屋に所属していた悪役、敵役が「いつか主役を食う」ことを夢見てピラニア軍団は誕生した。石原軍団のように団体で仕事をするためにつくられたわけではなく、「酒癖が悪く上の人から誘われない」ために、金はなくとも酒を飲む目的で結成された。毎晩のように京都・先斗町で飲んで暴れていた。たとえ二日酔いでも仕事になれば、出番はわずかでも必死に演技をするつわものたち。やがて「ヤクザよりもヤクザらしい迫力がある」と深作欣二監督らに認められ、「東映ピラニア軍団」と正式に名乗り認知された。
個性派俳優たちはおのおの頭角を現し始め、川谷拓三は大河「黄金の日日」に出演。室田日出男は萩原健一のドラマに出演するなど活躍の場をテレビに広げた。志賀勝はバラエティー番組にも進出。眉を剃りサングラスをかけた怖い顔とのギャップで子供にも受けた。もっとも、「東京で稼いだ金は歌舞伎町で落とした」と豪語していた。ヤクザ映画もやがて衰退。軍団の顔だった川谷も室田も早くに他界。軍団も消滅していった。
第三の軍団として出現したのが、石原軍団のパロディーともやゆされた「たけし軍団」だった。