ザ・フォーク・クルセダーズ バンド解散後に火がついた「帰って来たヨッパライ」
そうして作ったアルバムの中の一曲が「帰って来たヨッパライ」だった。曲は加藤、詞は知り合いから紹介された松山猛が書いた。レコーディング作業も加藤がほとんどをやった。北山の妹が英語の勉強のために持っていたオープンリールのテープレコーダーを使い、多重録音や早回しを繰り返し、あの独特の節回しが生まれた。最後に北山が「なぁおまえ」と神の声を吹き込み、曲は完成した。
アルバム300枚をプレスしたが、67年9月の解散コンサートでは、100枚しかさばけなかった。残った200枚をどうしようかということになり、ラジオ局を回った。売るためだったが、露骨にイヤな顔をされるので「よければ、かけてください」とタダで渡すようになった。
そうして深夜放送で曲が流れ、レコード会社からもオファーがきたわけだが、すでにフォークルは解散。すると、北山は加藤に「もう1年だけやろう」と提案。ただ、もうひとりのメンバーである平沼は、家庭の事情でどうしても続けることができないという。そこで加藤が白羽の矢を立てたのが、関西のフォーク界では名を知られていた同志社大のはしだのりひこだった。