ザ・フォーク・クルセダーズ バンド解散後に火がついた「帰って来たヨッパライ」
<1967年11月>
11月5日、ラジオ関西の深夜放送「若さでアタック」で「おらは死んじまっただ」と甲高い声の突拍子もない歌が流れだした。ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)の自主制作曲「帰って来たヨッパライ」である。
たちまち関西地区で反響を呼ぶと、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」でも紹介され、東京でも火がついた。12月25日、急きょ“東芝キャピトル”からシングルが発売され、283万枚という驚異的なセールスを記録した。
フォークル結成は龍谷大1年の加藤和彦が男性ファッション誌「メンズクラブ」65年9月号の読者欄に「フォークグループを作ろう」と投稿したのがきっかけだった。加藤の自宅に最初に訪ねてきたのは京都府立医大1年の北山修。そこに井村幹生、芦田雅喜、平沼義男が加わり、アマチュアバンドとしてフォークルはスタートした。
地元・京都を中心に活動していたが、井村は東京の大学に入り、芦田は欧州に留学したため、途中からメンバーは3人になっていた。大学3年の時、加藤は就職活動、北山は勉強に本腰を入れるため、フォークルを解散し、記念にレコードの自費制作をすることになった。制作費用として、開業医だった北山の父親から20万円を借りた。