萩原賢一さん<1>60歳まで働きづめも苦に思ったことはない
地震計の製造・設置に没頭
女中や奉公人がいる裕福なゲタ屋の家に生まれた萩原さんだが、戦争ですべてが変わったという。
「学童疎開で長野に身を寄せ、終戦で東京に戻ると、一面の焼け野原。萩原家は何もかもを失い、埼玉県小川町に移りました。当時は本当に食べるものがなく、『我慢』が体に染み付きました。私は栄養…
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