くも膜下出血で早逝「ブラックモンブラン」41歳副社長の夫が遺してくれたもの…妻で竹下製菓社長が告白
1969年の発売以降、九州で圧倒的な人気と知名度を誇り、今年誕生から55年を迎えるアイスクリーム「ブラックモンブラン」。創業1894年(明治27年)の竹下製菓(佐賀県小城市)の5代目社長、竹下真由さんに、つらい別れが訪れたのが1月のことだった。副社長の夫が突然のくも膜下出血で帰らぬ人に。さらに4月には、会長の父を立て続けに亡くしている。特に、夫・雅崇さん(享年41)の急逝は思いもよらぬことだった。
2016年、新社長に就任した創業家の真由さんは、4代目の父・敏昭さん(享年86)から事業を承継。真由さんの社長就任とともに副社長に昇格したのが、14年に入社した雅崇さんだった。
41歳の若さで雅崇さんがこの世を去ったのは、事業を拡大し、忙しいながらも充実した日々を送っていた矢先のことだった。雅崇さんの急逝からおよそ半年、真由さんに当時の様子と、今後の経営についても語ってもらった。
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突然、くも膜下出血に襲われた雅崇さん。しかし、特に前兆らしいものはなかった。
「今思えば、家族と食事をした後はだいたい近隣の友人を誘って二次会へと繰り出す人が、その日は珍しく2杯しかお酒を飲みませんでしたし、そのまま家族と帰宅しました。『今日は体調がちょっと』と言っていましたが、もともとアレルギー体質で優れない日はよくあったので、当初はいつものようにちょっと体調が悪いのかな程度にしか考えていませんでした」
亡くなるまでの3日間、雅崇さんの仕事の対応に追われ、息つく暇もなかったという。
「グループの埼玉の会社の経理周りを担っていたため、従業員への給料支払いが滞らないよう本社で引き継ぎ、夫のスケジュールを確認しながら近々のアポイント調整などに追われていました」
グループ企業6社の舵取りをしている真由さんは、雅崇さんだけでなく父・敏昭さんという精神的支柱まで失い、喪失感に襲われながらも一人で事態に向き合わざるを得なくなった。
■「夫、父に支えられて、8年間社長をやってこられた」
「マンパワーが一気に3から1になったわけですから、仕事量はかなり増えました。例えば、今まで夫と分担して出席していた入社式も一人で回りました。夫が担当していた埼玉の会社の仕事の振り分けや、父が担っていた地元の人間関係や各種役職など把握しきれていなかったものも多く、ひたすら整理していく日々でした。2人に支えられてこの8年間、社長としてやってこられていたことを痛感する日々でもありました」
3人の子育て中のママでもある。
「当時小6、小4、小3の子供たちには父親の状況を説明しつつも普段通りの生活をしてもらい、病院から電話がきたら夜中でも一緒に行くかどうか確認をしました。上の2人は大きなショックを受けたものの死を受け止められていますが、下は死がまだよく理解できていないようです。例えば、ゲームをするのに『パパのゲーム機を使っていいよ』というと、『だめだよ、パパが帰ってきたときに勝手に使っていたら怒られるじゃない?』といった具合で。亡くなって半年経った今も、パパはまだ埼玉にいてまた佐賀に帰ってくる、そんな感覚でいるような気がします」