大久保らは天皇の権威を自分たちの権威に組み込んでいった

大久保利通は自らの孤立を防ぐため、木戸孝允と板垣退助を再び参議に加えて、指導部を固めようと考えた。このような意図で行われたのが、明治8(1875)年2月の大阪会議である。といっても3人が話し合っただけで、特に会議というような意味合いはなかった。
木戸と板垣は、大久保の説…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り817文字/全文958文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】