吉田茂首相「バカヤロー解散」で選挙は右と左の百家争鳴に
![1953年3月14日、内閣不信任案が可決され衆院が解散された。吉田茂首相が西村栄一氏(右派社会党)の質問に「バカヤロー」と暴言を吐いたことが発端だった(C)共同通信社](https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/266/902/dba515ccee58aa69760e6457bc01f86120191227124349458_262_262.jpg)
昭和28年4月の総選挙は、講和条約発効後の2回目の選挙であった。最初の選挙は独立回復から4カ月後に行われた、いわゆる「抜き打ち解散」(昭和27年10月)で、これは吉田茂の政治的独善性の象徴のようなものだった。自由党内に鳩山一郎を担ぐ一派があり、彼らは反吉田でまとまっていた。この…
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