DeNAドラ4福地元春 父との約束果たすべく9年「寮生活」
「やったー!」
みんなで万歳三唱。大騒ぎになった。安夫さんも幸子さんも大泣きだった。2人につられてみんなで涙した。
福地から報告の電話がきた。
「約束がかなってよかったよ」
福地は中学卒業後に実家を出て、福岡の自由ケ丘高校に進学した。以降9年間、九州共立大、社会人の三菱日立と寮暮らしを続けている。帰省は年末年始の一度だけ。親子が向き合う貴重な時間になっていた。
高校入学当初は母の幸子さんに「やめて沖縄に帰りたい」と漏らしたこともある。
■「特待生」で自由ケ丘高校入り
野球少年だった安夫さんは福地が小さい頃からプロ野球選手になってほしいと思い続けていた。
高校時代は栽監督率いる沖縄水産高野球部で外野手。不動のレギュラーではなかったけれど、目いっぱい練習した。同期には83年、ロッテにドラフト1位で入団した比嘉良智、栽監督の長男・赤嶺琢(自由ケ丘高校野球部監督)らがいた。