壮絶ながん闘病を経験した大橋巨泉氏 「賭けに勝った」
「死んだ方が楽」と初めて思った
昨年11月、扁桃(へんとう)に中咽頭がんが見つかった。大橋巨泉さん(80)にとって、9年前の胃がんに続いて2度目のがん告知。これには「目の前が真っ暗になった」と言うが、克服した。最近は執筆、テレビ、ラジオ出演と、徐々に活動を再開している。凄まじい闘病生活と今の日本の危うさについて、思いの丈を語ってもらった。
「最初はまったく自覚症状はなく、頬杖をついてテレビを見ていたら、小さいしこりのようなものに触れてね。精密検査を受けたら、なんと結果は中咽頭がん。ショックだったけど、見つかる確率は1%というし、同じ『ステージ4』でも、『4-B』『4-C』だったらまず助からないと聞き、“自分にはまだ運がある”とも思ったね」
担当の松本文彦医師(国立がん研究センター)が答えた「完治します」の言葉を信じ、早速、治療プランに入ったという。
「がんの治療は、いまや“何でも切る”という時代ではないらしく、転移したリンパ節のがんだけを11月中に切り、12月から放射線治療を始めた。35回にわたる放射線治療は副作用が本当につらく大変で、80年間の人生で初めて“死んだ方が楽かもしれない”と思った」
舌の右側にやけどのような口内炎ができ、ヒリヒリ痛む。唾液腺がやられて、口中が乾いて声も出なくなる。味覚をつかさどる味蕾(みらい)もやられた。
「大好物のアンパンを口に入れたら、モゴモゴして、まるでスポンジか木片を食べているみたいで、とてもじゃないけどのみ込めない。2月3日にようやく放射線治療が終わり、少しずつ塩味、苦味、酸味が戻り始めたけど、甘味はなかなか戻らず、チョコレートは甘くなく苦いだけの板、アイスクリームは冷たいだけの塊でした」
愛妻の寿々子夫人(65)が作ってくれる野菜ジュースとスープ類だけが“命綱”で、手術前に72キロあった体重は15キロ落ち、57キロに。鍛えてきた大腿(だいたい)四頭筋は衰え、階段を5段上るのが精いっぱいという“生ける屍(しかばね)”になってしまった。
「アヘンアルカロイド系のオキシコンチンという鎮痛作用のある“麻薬”を12時間おきに服用したら、副作用で1日20時間くらいベッドでうとうと寝てばかり。起きている時間もソファに横になって、僕が司会をやった『HOWマッチ』や『クイズダービー』のDVDをボーッと眺めているだけ。こうなると、運動不足とかの次元じゃなくて、1メートル先にあるCDさえ取ることができない。これはマズイと思い、重大な決断をするんです」
■ニュージーランドに行って「賭けに勝った」
2月中旬、巨泉氏はニュージーランドに向かう。環境をガラリと変えてリハビリする道を選んだのだ。
「これが大正解だった。大雪が降っていた日本と違って、NZは気温24度くらいで快適。味覚を失った状態に変わりはなかったけど、とにかく食べて動くことに決め、ラム肉、牛肉などタンパク質を中心に、そば、うどん、パスタといった炭水化物も一生懸命食べた。そうしたら、2週間くらいで体重が増え始め、散歩も1キロくらいまでできるようになったんです。僕は“賭けに勝った”と思ったね。だって、NZのオークランド空港まで日本から11時間もかかるんだよ。主治医の松本先生は『行けるものなら行ってください』と突き放した言い方をしたけど、“ナニクソ”と歯を食いしばってつらい道を選んだ甲斐があった」
3月20日に日本に帰国すると、待望の「甘味」も戻り、4月24日は千葉のゴルフ場でラウンド。ハーフを45で回った。「徹子の部屋」「大竹まことゴールデンラジオ!」などメディアの露出も増やし、現在発売中の「文藝春秋」には、この国の右傾化に警鐘を鳴らす論文を寄稿する。