水森かおり 鳴かず飛ばずを救った父親の飲み友達との“縁”
■「青筋立てて歌いなさい」
さすがに私も覚悟を決めましたね。それからレコーディングまでの約2カ月間、空いてる時間をすべて注ぎ込んで、私は自宅から先生の事務所までレッスンのために自転車で通いました。
「見てくれなんか考えず青筋たてて歌いなさい」「詞の意味を、よく考えて」…。先生にご指摘され、迷ってる場合じゃなかった。
その甲斐あって、発売日を迎えてキャンペーンに回ると、お客さまの反応が、それまでに比べ見違えるようにいいんです。“手応え”というのを初めて実感しましたね。オリコン演歌チャートでは、初登場2位に入るスマッシュヒット。残念ながらNHK紅白歌合戦にご縁はありませんでしたが、紅白出場が夢ではなく、頑張れば手が届く目標になりました。
そして年が明け、11曲目に先生からいただいたのが「鳥取砂丘」(03年4月発売)です。「東尋坊」がホップなら、こちらはステップ。
おかげさまで大ヒットし、念願だった紅白初出場を果たすことができました。さらに翌年の「釧路湿原」でジャンプして「ご当地ソングの女王」とうれしいニックネームをいただくようになったのです。
先生は今もこうおっしゃいます。「ボクの下積み時代、かおりちゃんのお父さんに、どれだけ励まされたことやら」
いえいえ、先生。新曲のたびに新たな課題を出される先生の弟子として、これからも精いっぱい努力したいと思っています。