元プロレスラーのミミ萩原は“マリア様”の指示で広島暮らし
……、凡人、俗人にはちょいとムズカシイ。
思い返せば、78年、それまでアイドルとして人気で、見るからに華奢だった萩原さんがジャッキー佐藤に誘われたのがきっかけでプロレスラー転向と聞いた時、誰もが耳を疑い、信じ難い思いをしたものだった。
ちなみに、コルドンホールの「コルドン」はプロレスを引退してからレビューショーのダンサーをしていた時、よく出演した赤坂のレストランシアター「コルドンブルー」にちなんで付けたらしい。
ところで、だ。現在は人口2万人弱の北広島町に暮らす萩原さん、生活の糧はどうやって?
「ここでダンス教室を開き、広島県内を中心にミュージカルをベースにしたディナーショーを開いてやりくりしてます」
ダンス教室の生徒は小学生から社会人まで約20人。ディナーショーは萩原さんがプロデュースするダンスチーム「アティーナダンスカンパニー」の9人のメンバーが主体。もちろん、萩原さんも加わる。
「リフティングやアクロバチックなパフォーマンスを織り交ぜたダンスが特徴で、長男の隼十がダンスパートナー。次男の源東はダンスとドラム、和太鼓を担当してます。これからは活動範囲を広島からもっと広げ、あと、福祉施設の慰問も増やしたいですね」