【対談】宮嶋茂樹×小原玲 「フライデー」スクープの裏側
宮嶋 距離はかなりあるけど、撮る側としては視界を遮るものが何もない分、狙いやすい。
小原 そうそう。大学の敷地内だったから問題になると面倒だなと思って、大学の写真部の学生をバイトで雇って「東京理科大写真部」と書いたプレートを首から下げ、一緒にウロウロしてた。
宮嶋 よくやるなと思ったよ。
小原 御巣鷹山の日航機墜落事故もそうだけど、とにかく1985年は、1年前に創刊したばかりのフライデーが存在感を示した年だった。
宮嶋 当時を知るカメラマン連中が集まると、「戻れるものならあのころに戻りたい」って皆が口を揃えて言う。その象徴が1985年だよね。
それから間もなく写真週刊誌は報道から芸能路線へシフト。そのきっかけのひとつとなったビートたけしとたけし軍団による「フライデー襲撃事件」の顛末などは、2017年1月以降に掲載します。
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▽みやじま・しげき 1961年、兵庫生まれ。日本大学芸術学部卒業後、「フライデー」専属カメラマンを経て、フリーランスの報道写真家に。現在も「不肖・宮嶋」として報道の第一線で活動。近著は、20年以上の取材資料に加え、最新機器の撮影や隊員の日常潜入記等をまとめた「国防女子」(集英社)、「国防男子」(同)、「SCRAMBLE! 航空自衛隊60周年写真集」(講談社)など。