「FRIDAY」カメラマンはなぜ動物写真家に転身したのか?
とにかく経歴がユニークだ。写真週刊誌「フライデー」(講談社)創刊時にエースカメラマンだった男はいつしか動物写真家に転身。今月1日には日本では北海道でのみ生息し、雪の妖精と呼ばれる体長約14センチの小さな鳥「シマエナガ」を追いかけた写真集「シマエナガちゃん」(講談社ビーシー)を出版した。小原玲、55歳。銃弾の飛び交う戦場や凄惨な事件事故、有名人のスキャンダルを追いかけるスクープ至上主義の世界から一転、愛らしい野生動物にターゲットを変えるまでの軌跡を聞いた。
■被写体が悲しければ悲しいほど飯のタネに
小原氏の写真が初めて「フライデー」の巻頭を飾ったのは85年2月、脳梗塞で倒れて入院している田中角栄の病室を隠し撮りしたものだった。
「当時、事務所サイドは点滴など打っていないとかたくなに否定していましたが、僕の写真には点滴している角栄の姿がばっちり(笑い)。この写真に激怒した真紀子さんが、秘書の早坂茂三さんを辞めさせてしまった。名物秘書をクビに追い込んだのは、僕の写真だったんです。『フライデー』には2年ほどお世話になりましたが、その間、『FOCUS』や『週刊文春』から引き抜きの話をいただいたこともありました」
カメラを手にロス疑惑のその後や日航機墜落事故などを追いかける充実した日々を送っていた小原氏。だが、写真誌の“標的”は芸能人のスキャンダルへとシフトしていった。
「そもそもロバート・キャパに憧れてカメラマンになった人間。玉置浩二との不倫愛に行き詰まった石原真理子が毛布ぐるぐる巻きで自宅から救助される瞬間を撮ったら、編集部は喜んでくれる。でも自分の心は納得がいかなかったんです」
思い悩んでいた時期にフィリピンでクーデターが勃発。名刺と記者証を置いて編集部を去った。その後は米国の通信社に所属し、湾岸戦争やソマリア内戦、天安門事件などを取材。死と隣り合わせの戦場カメラマンとしてシャッターを切った。しかし、ソマリアの地で痩せ細った子供を探し回っている自分に気づき、絶望したという。
「被写体が悲しければ悲しいほど自分にとっては飯のタネになる。ヒューマニズムや社会正義を掲げても、それはごまかしでしかない。そう思ったら、もう報道は続けられません」
そんな時に出合ったのが、アザラシの赤ちゃんだった。